2010年01月16日

夏目漱石

夏目漱石

夏目漱石(なつめそうせき、慶応3年1月5日(1867年2月9日) - 大正5年(1916年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。『吾輩は猫である』『こゝろ』などの作品で広く知られる、森鴎外と並ぶ明治・大正時代の文豪である。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。

大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後に東京帝国大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学教師、熊本で五高教授などを務めた後、イギリスへ留学。帰国後、東京帝大講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。
その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。
「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私」(そくてんきょし)の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。
昭和59年(1984年)から平成16年(2004年)まで発行された日本銀行券千円券に肖像が採用された。
posted by 推理小説家 at 19:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月06日

『夢十夜』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『夢十夜』(ゆめじゅうや)は、夏目漱石著の小説。1908年(明治41年)7月25日から8月5日まで朝日で連載された。現在(明治)を始め、神代・鎌倉・100年後と、10の不思議な夢の世界を綴る。「こんな夢を見た」という書き出しが有名。

<あらすじ>
[第一夜]
『こんな夢を見た。腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が…』
死ぬ間際の女に「百年待っていてくれ」と自分は頼まれる。女の墓の横で待ち始めた自分は、赤い日が東から昇り、西へ沈むのを何度も見る。そのうちに女に騙されたのではないかと自分は疑い始める。その自分の前に、一輪の真白な百合が伸びてくる。いつの間にか百年が過ぎていたのだった。
[第二夜]
『こんな夢を見た。和尚の室を退がって、廊下伝いに自分の部屋へ帰ると…』
「侍なのに無を悟れていない」と和尚に馬鹿にされた自分は、悟りを開いて和尚を斬るか、悟りを開けず切腹するかの二択を自らに課す。 侍は悟りを開くため、無についてひたすら考える。
[第三夜]
『こんな夢を見た。六つになる子供を負ってる。たしかに自分の子である。…』
田圃道を子供をおぶって歩いている。いつの間にか、子供は目クラになっていた。あぜ道を行くうち、子供は目が見えないのに周囲の状況を次々と当て始め、恐ろしくなった主人公は子供を放り出して逃げることを考える。やがて、子供が「重くないか?」と質問。答えると「やがて重くなるさ」と意味深な笑いが返ってくる。道はいつしか山道へと入り、やがて一本の杉の木の前に辿りついた。子供が言う、「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」。文化五年辰年の殺人を自覚したとたん、背中の子供が急に石地蔵のように重くなった。
[第四夜]
『広い土間の真中に涼み台のようなものを据えて、その周囲に小さい床几が並べてある。…』
酒を飲んでいるお爺さんが一人。ひげもじゃで、禅問答みたいな会話をするお爺さんは酒を飲み終わると河原の柳の下へ行き、箱から手ぬぐいを出すと地面へ置き、その周りを丸く囲って、「蛇になるぞ」。チャルメラのような笛を吹きつつ、踊りまくるお爺さん。やがて、お爺さんは手ぬぐいを箱に戻すと「今になる、蛇になる、きっとなる、笛が鳴る」と言いつつ川の中。とうとう潜ってしまった。
[第五夜]
『こんな夢を見た。何でもよほど古い事で、神代に近い昔と思われるが…』
飛鳥時代だろうか。戦に敗れ、敵軍の大将の前に連行されてきた主人公。死を受け入れた主人公の度胸に感心したのか、大将は男が恋人に逢うまで死刑を待ってくれた。鶏が鳴くまでに女をここへ呼ばなければならない。それを知ってか知らずか、主人公の恋人は馬を駆って陣を目指す。
[第六夜]
『運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから…』
運慶が仁王像を彫っている。その姿を見ていた自分は、隣の男が「運慶は、木の中に埋まっている仁王を掘り出しているだけだ」と言っているのを聞いた。そこで自分でも仁王像を彫ってみたくなり、家の裏においてある木をいくつか掘り始めた。ところがいくら掘っても仁王は出てこない。自分は、何故運慶が明治時代まで生きているかを悟ったのだった。
[第七夜]
『何でも大きな船に乗っている。この船が毎日毎夜すこしの絶間なく黒い煙を吐いて…』
とにかく舟に乗っているのだが、乗っている理由がまったく分からない。過ぎゆく波を見ているうち、不安になった男は近くの水夫を捕まえて話を聞くが、その解答はまるで要領を得ない。「西へ行く日の、果(はて)は東か。それは本真(ほんま)か。東(ひがし)出る日の、御里(おさと)は西か。それも本真か。身は波の上。枕(かじまくら)。流せ流せ」。ホールでピアノを弾く女性を見ているうち、むなしくなった男は発作的に甲板から海へと飛び込んでしまい…。
[第八夜]
『床屋の敷居を跨いだら、白い着物を着てかたまっていた三四人が、一度にいらっしゃいと云った。…』
床屋に入り、鏡の前に座っていると、鏡の中を様々な物が通り過ぎてゆく。パナマ帽を斜にかぶり、女とデートをしている庄太郎。豆腐屋に芸者。やがて理髪師がやって来て、髪の毛をカットし始める。そのはさみ裁きが怖くなって目をつぶると、理髪師から入り口に金魚やが来ていることを教えられた。
[第九夜]
『世の中が何となくざわつき始めた。今にも戦争が起りそうに見える。…』
もうすぐ戦争になるらしい。お父さんは出征した。お母さんは、幼い自分を連れてお百度参りに出かける。子供を拝殿に残し、お参りを続けるお母さん。幕末の混乱期の、ある一夜の光景がつづられる。
[第十夜]
『庄太郎が女に攫われてから七日目の晩にふらりと帰って来て…』
女に攫われた庄太郎が七日ぶりに帰ってきた。庄太郎は、連れて行かれた崖で「ここから飛び降りろ」と女に言われる。それを拒否した庄太郎は、「豚に舐められてもいいのか」と問われる。それでも拒否した庄太郎に、何万という豚が襲いかかったのだった。

<感想>
夢独特のぼんやりした雰囲気が作品全体を包みます。最近夢を見なくなった自分には就寝前の愛読書です。百年の愛を描いた第一夜、自分の赤ん坊を捨てに行く男の恐怖を描いた第三夜、運慶が仁王像を彫る第六夜、どれも不気味かつ不可思議な夢です。お気に入りを見つけるも良し、漱石が見た夢の謎を追う難解さに溺れるも良し、自身が夢の世界に浸るも良し、しかし所詮は夢、ぼんやりして思い出せないくらいが調度いいでしょう。

〜『夢十夜』、夏目漱石〜
posted by 推理小説家 at 21:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『倫敦塔』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『倫敦塔』(ろんどんとう)は、夏目漱石の短編小説。1905年、『帝国文学』に発表。作者の留学中に見物したロンドン塔の感想をもとに描いた作品。

<あらすじ>
「余」は、行くあてもなく倫敦をさまよったのち、倫敦塔を見物した。これが留学中ただ1度の倫敦塔見物である。
塔内では大僧正クランマー、ワイアット、ローリーら囚人船で運ばれてきた古人たちを思い、また血塔では、叔父によって王位を追われ殺されたエドワード4世の二人の小児の幻影を見る。そして白塔を出てボーシャン塔へ向かうと、奇妙な母子がいた。「余」はその女にジェーン・グレーを見る。「余」は現実か幻想かわからなくなり、倫敦塔を出る。

<感想>
英国留学中の漱石がロンドン塔を訪れ見学しているうちに、その血塗られた歴史に意識が飛んでいく「倫敦塔」。読みやすさ、という意味では有名な作品のほうが上かもしれませんが、幻想性、ロマンチシズムという意味では、大変素晴らしい作品です。あらゆる文体や題材を自在に書きこなす、漱石の怪物のような懐の深さを見せつけられる作品です。

〜『倫敦塔』、夏目漱石〜
posted by 推理小説家 at 17:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『明暗』(☆☆☆☆:小説おすすめ度)

『明暗』(めいあん)は夏目漱石の長編小説。「朝日新聞」に大正5年(1916年)5月26日から同年12月14日まで連載され、作者病没のため188回までで未完となった。大正6年(1917年)に岩波書店から刊行。

<あらすじ>
会社員の津田由雄は、持病である痔の治療のための手術費の工面に迫られていた。だが、親は不義理のために金を出すのに難渋し、妹のお秀から責められる。
由雄には、勤め先の社長の仲立ちで結婚したお延という妻がいるが、お秀はこれを嫌っている。お延は津田に愛されようと努力するが、夫婦関係はどこかぎくしゃくしている。津田にはかつて清子という恋人がいたが、あっさり捨てられ、今は人妻である。お延にはこのことを隠している。
お延の叔父岡本の好意で、津田の入院費を工面してくれることになった。津田の入院先に、かつて清子を津田に紹介した吉川夫人が現れる。夫人は、清子が流産し湯治していることを話し、清子に会いに行くように勧める。
津田は結局一人で温泉へ行き、その宿で清子と再会する。清子は驚くが、翌朝津田を自分の部屋に招き入れる。

<感想>
その巧みな心理描写が素晴らしい漱石ですが、この「明暗」とそれまでの小説と決定的に違うのは、その心理描写が主人公だけでなく、脇を固めるキャラクターにも徹底されていることだと思います。妻お延、妹お秀、津田の世話を焼く吉川夫人、津田の友人小林など、様々な登場人物の心理が書きこまれ、人と人のあいだに生じる誤解、思惑の違い、駆け引き、そうしたものの存在と、それが人間関係に与える影響が、浮き彫りになっていきます。結果として、どちらかと言うと主人公自身の心理に焦点を当てた、漱石のそれまでの小説とは、全く違った深みを持つ結果となっているように思います。人間は他人を、自分の行動パターンに照らして分析しがちですが、実は自分とはまったく違う利害関係でもって思考し行動しています。そしてそのズレは埋めあわせがつかないくらい決定的です。そんなことを考えてしまいました。この小説が未完で終わっているのは、何ともなんとも残念なことです。だからこそ想像力をかき立てられる部分もあるのでしょうが。

〜『明暗』、夏目漱石〜
posted by 推理小説家 at 12:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『道草』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『道草』(みちくさ)は、夏目漱石の長編小説。「朝日新聞」に、1915年6月3日から9月14日まで掲載された。「吾輩は猫である」執筆時の生活をもとにした漱石自身の自伝であるとされる。主人公の健三は漱石、金をせびりに来る島田は漱石の養父である塩原昌之助であるという。私小説風のため、小宮豊隆らからはあまり勧められないなどと書かれ、不評であった。しかし、これまで漱石のことを余裕派と呼び、その作風・作品に批判的であった、いわゆる自然主義と呼ばれる作家達からは高く評価された。

<あらすじ>
留学から帰った健三は大学教師になり、忙しい毎日を送っている。だがその妻お住は、夫を世間渡りの下手な偏屈者と見ている。
そんな折、かつて健三夫婦と縁を切ったはずの養父島田が現れ金を無心する。さらに妹や妻の父までが現れ、金銭等を要求する。健三はなんとか工面して区切りをつけるが、最後に「世の中に片付くなんてものは殆どない」と吐き出す。

<感想>
「彼岸過迄」、「行人」、「こころ」を経て漸く辿り着いた境地がここにあります。漱石自身がモデルである健三は、運命に抗わず、運命を受容する生き方を選択します。漱石最晩年の心境・諦観が滲み出ています。しかし同時に、その心境を理解しうる読者には、静かに、漱石が生きる勇気を与えてくれているかのようです。

〜『道草』、夏目漱石〜
posted by 推理小説家 at 08:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月05日

『行人』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『行人』(こうじん)は、夏目漱石の長編小説。1912年12月6日から1913年11月5日まで、『朝日新聞』に連載。ただし、4月から9月まで作者病気(胃潰瘍)のため、5ヶ月の中断がある。『行人』は、「友達」「兄」「帰ってから」「塵労」の四つの編から成り立って居る。自分本位に行動する男とその妻との間にできる溝を通じて、近代知識人の苦悩を描く。『彼岸過迄』に続く、後期三部作の二作目。

<あらすじ>
[友達]
二郎は友人・三沢と会う約束をして大阪を訪れた。だが三沢は胃腸を悪くして病院に入院していた。二郎が三沢を見舞うために何度も病院に行くうちに、病院にいたある女に心を惹かれる。二郎が三沢に彼女のことを話すと、三沢はその女と入院する前に会って一緒に酒を飲んだという。三沢はその女の病室を見舞った。三沢が退院する段になって、彼は急に、精神を病んで同じ家に住んでいた「娘さん」の話を二郎に始めた。そして二人は別れた。
[兄]
三沢を送った翌日、二郎の母と兄・一郎、兄の嫁・直が大阪にやってきた。四人は観光のためにしばらく滞在する。その折、妻を信じきれない一郎は二郎に対して、直と二人きりで一晩泊まり、彼女の節操を試してほしいと依頼される。二郎は拒否するがとうとう直と二人で旅行することとなる。嵐の中で二人は一晩過ごし、一郎たちのもとへ帰った。詳しい話を東京で話すことを約して、四人は東京へ帰った。
[帰ってから]
東京へ戻ってからしばらくすると、一郎は再び二郎に嵐の晩のことを話すよう迫る。二郎は別に話したくないとして一郎の追及を避けたが、一郎は激怒した。以後、家の居心地が悪くなった二郎は、下宿に暮らすことを決めて家を出た。そのころから、兄の様子が家族の目から見てもおかしくなったと、一郎は周囲から聞かされる。
[塵労]
二郎は両親と相談し、一郎をその親友のHに頼んで、旅行に連れ出してもらう。二郎はHに、旅行中の一郎の様子を手紙に書いて送ってくれと頼んだ。一郎とHが旅行に出かけて11日目にHから長い手紙が届いた。その中には旅行中の兄の苦悩が、Hの目を通して詳しく書かれていた。

<感想>
前期三部作に描かれた近代知識人の苦悩(自然と倫理or情念と理知、実務家のプラクティカルな能力とインテリの無為、無能力など)に関する問題がさらに推し進められて、より漱石自身の苦悩(人と人との心の有り様や、信義や誠実の可能性、宗教観、哲学的な問いかけ)が直接的に投影されています。胃潰瘍の再発により、長期に亘る連載の中断をはさんだため、中断前と再開後の内容において、破綻とも言われかねない構成上の転換(語り手の変化)や、主人公(一郎)の心境の著しい変化などが見られるますが、「彼岸過迄」を経た読者には、それほど気にはならないでしょう。「こころ」より分かりづらくとっつきにくいですが、「こころ」を理解するためには、読んでおかなければいけない作品です。文章技術的には、相変わらず登場人物の心理が克明微細な筆致で描かれ、異常な迫力をもって呈示されるため、事件らしい事件も起こらず、プロットも極めてシンプルであるにも関わらず、現代の読者の興味をも失わせない傑作です。

〜『行人』、夏目漱石〜
posted by 推理小説家 at 20:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『彼岸過迄』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『彼岸過迄』(ひがんすぎまで)は、夏目漱石の長編小説。1912年1月1日から4月29日まで「朝日新聞」に連載され、同年に春陽堂から刊行された。「修善寺の大患」後初めて書かれた作品。自意識の強い男と、天真なその従妹との恋愛を描く。短編を集めて一つの長編を構成するという手法が具現化されている。後期3部作の第1作である。

<あらすじ>
地方から出てきて、大学を卒業したばかりの敬太郎は、就職活動に奔走し、苦労の末友人である須永の叔父の世話でやっと地位を得ることができた。その縁故で須永や彼の叔父、従妹の千代子とも親しくなるが、元来好奇心が強い彼は須永と千代子がただならぬ仲であることを感じる。やがて、須永や彼のもう一人の叔父、松本の話を聞きだすことができた。

<感想>
複数視点で語られる本作は、衝撃的な出来事で読者に強い印象を残すものではないですが、漱石の文章の上手さによって繰り返し味わえる作品になっています。内容的には、大患後の方向を示すような、大いなるプロローグであると言えるでしょう。私が繰り返し読んで改めて感じたのは、当時の女性の言葉遣いが美しいということです。もちろん、このようにしゃべっていたのは中流以上の階級でしょうが、現代の女性たちとはとても比較できません。

〜『彼岸過迄』、夏目漱石〜
posted by 推理小説家 at 18:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月02日

『門』(☆☆☆☆:小説おすすめ度)

『門』(もん)は、夏目漱石の長編小説。1910年に「朝日新聞」に連載。翌年1月に春陽堂より刊行。『三四郎』『それから』に続く、前期三部作最後の作品。親友であった安井を裏切って、その妻である御米と結婚した宗助が、罪悪感から救いを求める様を描く。

<あらすじ>
宗助は、かつての親友である安井の妻である御米を得たが、その罪ゆえに、ひっそりと暮らさざるをえなかった。そのため弟小六に関する父の遺産についてもあまり関心を示さず、小六を引き取り共に暮らすことになる。しかし気苦労の多い弟との同居のためなどで、御米は寝込んでしまう。大事にはならなかったが、やがて安井の消息が届き、大家の坂井のもとを訪れることを聞く。
宗助は救いを求めるために鎌倉へ向かい参禅したが、結局悟ることはできず帰宅する。すでに安井は満州に戻り、小六は坂井の書生になることが決まっていた。御米は春が来たことを喜ぶが、宗助はじきに冬になると答える。 参禅の折に出された公案「父母未生以前」と言う言葉は、「吾輩は猫である」「行人」 など、他の作品にも見られる。

<感想>
前作の『それから』では、主人公が友人の妻に恋心を告げ、それを友人本人にも打ち明け、結果それまでの生活をすべて破綻させたところで狂気を漂わせながら終わっています。『門』ではそれを受けて、その後のひとまずの静寂を手にした夫婦の形に焦点を当てています。もちろん主人公も舞台設定も異なっていることは衆知のとおりです。主人公宗助の苦悩を中心に描かれていて、苦悩と向き合いつつも結局は答えや救いなどがない人生もあるということを示唆しながら終わります。人の業深さを思わずにはいられません。禅の門をくぐり、そこでわずかばかり滞留して再び門をくぐって帰ってきても、ついに自らの苦悩を解決できないまま、また再び静寂の生活に身を沈ませる。この様は身の始末をどうとも潔く処断できない人の弱さを十分に感じさせ、ある種の豪胆さを持った人は別として、いわゆる「その他大勢」の人々誰もが抱く心の脆さがどういうものかを考えさせられる。答えがない。ない、ということにこの物語の本質があります。

〜『門』、夏目漱石〜
posted by 推理小説家 at 18:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『それから』(☆☆☆☆:小説おすすめ度)

『それから』は、夏目漱石の小説。1909年に朝日新聞に連載。翌年1月に春陽堂より刊行。『三四郎』(1908年)・『それから』(1909年)・『門』(1910年)によって前期三部作をなす。定職に就かず、親からの仕送りで裕福な生活を送る代助が、友人の妻である三千代とともに生きる決意をするまでを描く。

<あらすじ>
代助の父は実業家で、時代の波にのり、成功していた。代助は学生時代から裕福な生活を送り、次男であるために卒業後も自由気ままな生活を続ける。対照的に、親友である平岡は卒業後すぐに就職する。
やがて疎遠になっていた二人であったが、平岡の生活が苦しくなると、三年ぶりに再会することになる。平岡の妻は、かつて愛しながらも、平岡に譲った三千代であった。三千代のために借金を工面する代助は、自分が「金に不自由しないようでいて、大いに不自由している男」であることに気づく。
次第に三千代を愛するようになってしまった代助は、縁談を拒否。家族から見放されるが、代助は、平岡に三千代を譲るように言う。

<感想>
私にとって漱石の「それから」は、日本文学史上最もロマンティックな作品です。代助は大学を卒業した後も、働こうとしない。それは彼が、怠け者であるからでも、世の中に出て行くのを恐れている(世の中の人間を見下している)からでもない。なぜ働かないのか、なぜ結婚しないのか、と他人に聞かれた時の彼の返事は本心ではない。(兄嫁だけがその事にうすうす気付いていたが。)本当の理由は、彼の心の中に大きな隙間があったからです。それは美千代。彼は美千代との思い出の中に生きていたからです。物語の終盤、代助が美千代の昔と同じ髪形を指摘し、「あら気がついて」 というたった一言の中に三千代の悲しみ、恥じらい、喜び、ためらいといった想いが表され、美千代という女性、二人の関係を物語っています。彼らは同じ世界に生き、彼らの世界は、美千代が結婚した時点で止まってしまったのです。そして今、時は再び動き始める。「それから」とはこの物語のあとの二人のそれからを指します。

〜『それから』、夏目漱石〜
posted by 推理小説家 at 15:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『三四郎』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『三四郎』(さんしろう)は、夏目漱石の長編小説である。1908年(明治41年)、「朝日新聞」に9月1日から12月29日にかけて連載。翌年5月に春陽堂から刊行された。『それから』『門』へと続く前期三部作の一つ。

<あらすじ>
熊本の高等学校(第五高等学校)を卒業し、大学に入学するために上京した小川三四郎。だが東京は、自分の常識とは全く違った世界であった。さまざまな人と出会い、三四郎は自分は三つの世界に囲まれていることを整理する。一つ目は、母のいる故郷熊本。二つ目は、野々宮や広田先生のいる学問の世界。三つ目は、華美溢れる世界であった。
三四郎は、美禰子のいる三つ目の世界に心をひかれた。三四郎は美禰子に恋慕するが、美禰子は曖昧な態度を続けるのみであった。そして美禰子は「迷える子羊」(ストレイシープ)という言葉を三四郎に幾度となく投げかけ、ついには兄の友人と結婚してしまう。

<感想>
熊本から大学に行くために上京してきた三四郎の淡い恋の物語。三四郎の恋の相手、美禰子を初めとして、魅力ある登場人物が沢山出てきます。美禰子がつぶやく"Stray Sheep"という言葉がモチーフとなり、東京で新生活を始めたものの、自分の居場所が確立できない三四郎の心の不安定感が、流麗な文体で描かれていきます。過去への訣別と未来への不安が渦を捲き、現在の自分が不確かなものになってしまう。そんな誰もが一度は経験する青春のもがきと、三四郎も付き合っていきます。大学入学、就職などによって、身の回りの環境が変わると、自分はこの新しい集団に属していないのではないか、と孤独に感じることがありますが、そんな気持ちになっている人は、ぜひ読んで見るべき一冊です。

〜『三四郎』、夏目漱石〜
posted by 推理小説家 at 10:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月01日

『虞美人草』(☆☆☆☆:小説おすすめ度)

『虞美人草』(ぐびじんそう)は、夏目漱石の小説。初出は1907年で、朝日新聞上に連載された。彼が職業作家として執筆した第一作で、一字一句にまで腐心して書いたという。

<あらすじ>
愛されることをのみ要求して愛することを知らず、我執と虚栄にむしばまれ心おごれる麗人藤尾の、ついに一切を失って自ら滅びゆくという悲劇的な姿を描く。厳粛な理想主義的精神を強調した長篇小説で、その絢爛たる文体と整然たる劇的構成とが相まって、漱石の文学的地位を決定的にした。

<感想>
漱石の小説に知性や教養に加えてはっきり苦悶が現れ出すのがこの作品からです。我執の問題が小説の主軸となり、それを個性豊かな登場人物、流麗で豊富な語彙で彩っています。人物設定が見事で、若い男女だけの話ならまた違った結末を迎えていたはずなのに、そこは孤堂先生や甲野母ら名脇役を絶妙に配置させています。3人の女性に関しては賛否両論というか好みの分かれるところでしょう。また小野については現代の男性で彼を批判できる者がどれだけいるでしょう。100年近く前に書かれたとは思えない、現代人や社会に対する鋭い洞察に、驚くばかりです。漱石作品の中では意外と評価が低いですが、私はこの作品はお気に入りです。

〜『虞美人草』、夏目漱石〜
posted by 推理小説家 at 21:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月31日

『草枕』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『草枕』(くさまくら)は夏目漱石の小説。1906年に「新小説」に発表。熊本小天温泉を舞台にして、著者のいう「非人情」の世界を描いた作品である。「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。」という一文に始まり、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。」と続く冒頭部分が有名である。

<あらすじ>
日露戦争のころ、当時はやや歳をとった30歳の洋画家である主人公が、山中の温泉宿に宿泊する。やがて宿の「若い奥様」の那美と知り合う。出戻りの彼女は、彼に「茫然たる事多時」と思わせる反面、「今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする女」でもあった。そんな「非人情」な彼女から、主人公は自分の画を描いてほしいと頼まれる。しかし、彼は、「足りないところがある」と描かなかった。ある日、彼は那美と一緒に彼女の従兄弟(いとこ)で、再度満州の戦線へと徴集された久一を見送りに駅まで行く。その時、偶然に野武士のような容貌をした、満州行きの「御金を(彼女に)貰いに来た」、別れた夫と那美は発車する汽車の窓ごしに瞬間見つめあう。そのとき彼女の顔に浮かんだ「憐れ」を彼はみてとり、感じて、「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」と「那美さんの肩を叩きながら小声に云う」という筋を背景に、芸術論を主人公の長い独白とおして織り交ぜ、「久一」や「野武士(別れた夫)」の描写をとおして、戦死者が激増する現実、戦争のもたらすメリット、その様な戦争を生み出す西欧文化、それに対して夏にまで鳴く山村の鶯、田舎の人々との他愛のない会話などをとおして、東洋の芸術や文学について論じ、漱石の感じる西欧化の波間の中の日本人がつづられている。また、漱石がこだわった「探偵」や「胃病」の話が脈絡無くキーワードとしてでる。

<感想>
現代口語で育った自分にとって、この小説は難解なフレーズが多くて、辞書なしで読み進むことが出来なかったです。ですが、そんな面倒臭さをおぎなって余りあるくらい、ほんとに綺麗な文章でちりばめられた、珠玉の作品だったと思いました。漱石の透徹した審美眼によって描き出される「非人情」の世界。逗留地の自然、人々の描写が、西洋的な感覚とはおよそかけ離れた、幽玄的で禅的で俳句的で「東洋的」「日本人的」な意味合いでの美しさを感じさせます。洗練されてて、野暮ったさが微塵もない、こんな文章書ける人間がいる、そのことにまず感心しました。漱石の『こころ』を読んだ時の「先生」の心理描写の巧さもすごいと思いましたが、この作品での絶妙の音律、言葉の微妙な使いまわし、芸術観の鋭さにも、感嘆してしまいました。個々の作品の質の高さは言うまでもないですが、夏目漱石の偉大さは、一作一作を全く違った文体、手法で書くことができるとこにあると思いました。

〜『草枕』、夏目漱石〜
posted by 推理小説家 at 21:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月10日

『吾輩は猫である』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『吾輩は猫である』(わがはいはねこである)は、夏目漱石の長編小説。1905年1月、「ホトトギス」に発表、好評のため翌年8月まで継続した。

<あらすじ>
英語教師、苦沙弥先生の家に飼われている猫である「吾輩」の視点から、飼い主苦沙弥先生の一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生たちの人間模様を風刺的に描いている。

<感想>
登場させられる主要人物は、猫の主人である中学教師をはじめ、金持ちやいわゆる大学出と思われる文化人、すなわち当時のエリート達、それも比較的身のまわりにいる人達です。新生明治を現場で引っぱった人々である。猫の目をもって、それらエリートを風刺し、また彼らの会話・行動を通して互いとその社会を風刺する。落語や戯作という伝統的語り口が、歯切れ良く効果的です。猫に語らせることにより、漱石をも含む文化人達を対象化して洒脱、饒舌をもって風刺することをやってのけています。つまり、主な流れは歯切れ良い社会批評なのです。

〜『吾輩は猫である』、夏目漱石〜
posted by 推理小説家 at 19:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月08日

『坊っちゃん』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『坊っちゃん』(ぼっちゃん)は、夏目漱石の中編小説。1906年、「ホトトギス」4月号別冊付録に発表。のち『鶉籠』(春陽堂刊)に収録された。作者の松山での教師体験をもとに、江戸っ子気質の教師が正義感に駆られて活躍するさまを描く。漱石の作品中、最も多くの人に愛読されている。

<あらすじ>
「親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている」坊っちゃんは、父親と死別後、親の残した遺産を学費に東京の物理学校に入学。卒業後は学校の誘いに「行きましょうと即席(そくせき)に返事をした」ことから四国の旧制中学校に数学の教師として赴任した。初めての宿直の夜に寄宿生達から手ひどい嫌がらせを受けた坊っちゃんは、寄宿生らの処分を訴えるが、教頭の赤シャツや教員の大勢は事なかれ主義から うやむやにしようとする。坊っちゃんは、このときに唯一筋を通すことを主張した山嵐には心を許すようになった。やがて坊っちゃんは、赤シャツがうらなりの婚約者への横恋慕から うらなりを左遷したことを知り義憤にかられる。このことで坊っちゃんと山嵐は意気投合する。しかし、赤シャツの陰謀によって山嵐が辞職に追い込まれることになってしまう。坊っちゃんと山嵐は、赤シャツの不祥事を暴くための監視を始め、ついに芸者遊び帰りの赤シャツと その腰巾着の野だいこを取り押さえる。芸者遊びについて詰問するが、しらを切られたため、業を煮やし暴行を加えた。即刻辞職した坊っちゃんは、東京に帰郷。街鉄(後に都電と呼ばれるようになる路面電車のこと)の技手となった。

<感想>
夏目漱石の初期作品である「坊っちゃん」と「吾輩は猫である」は、その後の漱石の作品と比べると、かなり異質。ただ、どちらも非常に面白いです。何度も読み返したという方は、少なくないと思います。私もその一人です。明治39年作の「坊っちゃん」は、この時代の他の作品同様、現代の我々が読むと細部は理解できません。その点は、多くの解説書が出版されており、流石に広く愛読されている事が分かります。物語は四国松山方面の方言情緒が盛り込まれています。坊っちゃんの宿直の時に、布団の中に大量のバッタを入れられ、坊っちゃんが生徒を吊し上げる場面があります。この時の生徒の言葉「それはバッタやのうて、イナゴぞな、もし」と言うあたりは傑作です。また、大食いの坊っちゃんは、天麩羅蕎麦を4人前もたいらげ、そんな事で職員会議でたしなめられます。そのことからも当時の教師像の有り様が伺えます。面白い点は、推理的要素が少し含まれている点です。赤シャツと野だは、当初からうさんくさい。山嵐は敵なのか味方なのか分からない。どうも、うさんくさい人間にはめられている感があります。そして、クライマックスのドタバタ的盛り上がり。これらが文学の香り高く綴られます。坊っちゃんの清(きよ)への愛着もほほえましい。本書は、この先何百年、何千年と読み継がれてゆくのでしょう。

〜『坊っちゃん』、夏目漱石〜
posted by 推理小説家 at 21:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月08日

『こころ』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『こゝろ』(こころ)とは、夏目漱石の代表作となる長編小説。友情と恋愛の板ばさみになりながらも結局は友人より、恋人を取ったために罪悪感に苛まれた「先生」からの遺書を通して、明治高等遊民の利己を書く。

<あらすじ>
時は明治末期。夏休み中に鎌倉に旅行に行った際、「私」は「先生」と出会った。先生は大学を出ているが就職せず、奥さんとひっそりと暮らしている。先生は雑司が谷にある墓地(雑司ヶ谷霊園)へ墓参りに行ったり、私に対して「私は寂しい人間です」と言ったりする。私はそんな生活を送る先生の事に興味を抱き、先生自身の事を色々と尋ねたりするが、先生は答えてくれない。奥さんとの間に子供がいない事も不思議に思うが、やはり答えてくれなかった。また、私に対して「恋は罪悪だ」など急に教訓めいたことを言ったりもする。そんな折に私の父親が病気を患っている事を話すと、先生は「お父さんの生きてるうちに、相当の財産を分けてもらっておきなさい」と、現実的なことを言い出す。
私は大学を卒業後、実家に戻った。卒業後の就職先が決まっていなかった私に対し、家族から就職の斡旋を先生に依頼するように言われ、手紙を出すが、先生からの返事はなかった。まもなく、私は東京に戻る予定だったが、父親の容態が明治天皇の崩御と時を同じくして悪化したために実家から離れる事が出来なくなる。
父親が危篤という状況になってようやく先生からの手紙が届く。私は先生の手紙から先生自身の死を暗示する文章を見つけたため、最期を迎えようとしている父親の元を離れ、東京行きの列車に乗る。列車の中で読んだ手紙には、衝撃的な先生の過去が綴られていた。

<感想>
この作品は、上・中・下と三部に分かれています。”上 先生と私 ”では、主人公である「私」が、先生という一人の人物に出会います。「私」と先生は交流を深めていきますが、「私」には先生の存在がどうしても遠く感じられます。先生の奥さんが言うには、先生はある事件を境に性格が変わっていったのだといいます。先生は、時折その事件の伏線となるような言動をしますが、それを「私」には教えようとしません。そして”中 両親と私”を経て、”下 先生と遺書”で、現在の先生という存在を形作る出来事が、先生を主体としてことごとく明らかになっていきます。色々な言動や、光の加減が何かを暗示していたり、描写などがとても卓越してます。思っていても言葉で表現出来ないことが、綺麗な文章でうまい具合に表されているのです。明治時代に書かれた本なのに、こんなにも古臭くなく、現代人に愛され続ける作品を書くことができる彼は本当に素晴らしいです。

〜『こころ』、夏目漱石〜
posted by 推理小説家 at 20:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
相互リンク募集中です。こちらのトップページhttp://mainichigashiawase.seesaa.net/へリンクを張った後にコメント(リンクが張られていることが確認できるURLを記載して下さい)を頂ければ、直ちに相互リンクさせて頂きます。