2010年01月16日

川端康成

川端康成

川端康成(かわばたやすなり、1899年〈明治32年〉6月14日 - 1972年〈昭和47年〉4月16日)は日本の小説家。
大阪府大阪市北区此花町(現在の天神橋付近)生れ。東京帝国大学文学部国文学科卒業。横光利一らと共に『文藝時代』を創刊し、新感覚派の代表として活躍。『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『古都』など日本の美を表現した作品を発表し、1968年(昭和43年)に日本人初のノーベル文学賞を受賞した。1972年(昭和47年)、ガス自殺した。

1899年(明治32年)6月14日、大阪市北区此花町(現在の天神橋付近)に生れた。父は栄吉(医師)、母はゲン。姉芳子。
幼くして近親者を亡くす。1901年(明治34年)に父が死去し、母の実家がある大阪府西成郡豊里村(現在の大阪市東淀川区)に移ったが、翌年に母も死亡し、祖父の三又郎、祖母のカネと一緒に三島郡豊川村(現在の茨木市)に移った。1906年(明治39年)、豊川尋常高等小学校(現在の茨木市立豊川小学校)に入学。笹川良一とは小学の同級生で、祖父同士が囲碁仲間であった。しかし、9月に祖母が死に、1909年(明治43年)には別離していた姉も死亡した。1912年(明治45年)、大阪府立茨木中学校(現在の大阪府立茨木高等学校)に入学。2年後に祖父が死去したため、豊里村の黒田家が引き取ったが、中学校の寄宿舎に入り、そこで生活を始めた。
作家を志したのは中学2年のときで、1916年(大正5年)から『京阪新報』に小作品、『文章世界』に短歌を投稿するようになった。1917年(大正6年)に卒業すると上京し、浅草蔵前の従兄の家に居候し、予備校に通い始め、第一高等学校の一部乙、英文科に入った。後年『伊豆の踊子』で書かれる旅芸人とのやりとりは、翌年の秋に伊豆へ旅行したときのものである。その後10年間、伊豆湯ヶ島湯本館へ通うようになった。
1920年(大正9年)に卒業し、東京帝国大学文学部英文学科に入学。同期に北村喜八、本多顕彰がいた。同年、今東光、鈴木彦次郎、酒井真人らと共に同人誌『新思潮』(第6次)の発刊を企画。また、英文学科から国文学科へ移った。1921年(大正10年)、『新思潮』を創刊、同年そこに発表した「招魂祭一景」が菊池寛らに評価され、1923年(大正12年)に創刊された『文藝春秋』の同人となった。大学に1年長く在籍したが、卒業した(卒業論文は「日本小説史小論」)。1924年(大正13年)、横光利一、片岡鉄兵、中河与一、佐佐木茂索、今東光ら14人とともに同人雑誌『文藝時代』を創刊。同誌には「伊豆の踊子」などを発表した。1926年(大正15年)、処女短篇集『感情装飾』を刊行。1927年(昭和2年)、前年結婚した夫人とともに豊多摩郡杉並町馬橋(高円寺)に移転。同人雑誌『手帖』を創刊し、のちに『近代生活』『文学』『文学界』の同人となった。
『雪国』『禽獣』などの作品を発表し、1944年(昭和19年)、『故園』『夕日』などにより菊池寛賞を受賞。このころ三島由紀夫が持参した「煙草」を評価する。文壇デビューさせたその師的存在である。『千羽鶴』『古都』などの名作を上梓しながら、一方で1948年(昭和23年)に日本ペンクラブ第4代会長に就任。1957年(昭和32年)に東京で開催された国際ペンクラブ大会では、主催国の会長として活躍し、その努力で翌年に菊池寛賞を受賞した。1958年(昭和33年)に国際ペンクラブ副会長に就任。また1962年(昭和37年)、世界平和アピール七人委員会に参加。1963年(昭和38年)には、新たに造られた日本近代文学館の監事となった。1964年(昭和39年)、オスロで開かれた国際ペンクラブ大会に出席。断続的に「たんぽぽ」の連載を『新潮』に始めた。1965年(昭和40年)に日本ペンクラブ会長を辞任したが、翌年に肝臓炎のために東大病院に入院した。
1968年(昭和43年)には「日本人の心情の本質を描いた、非常に繊細な表現による、彼の叙述の卓越さに対して ;"for his narrative mastery, which with great sensibility expresses the essence of the Japanese mind."」ノーベル文学賞を受賞した。授賞式では「美しい日本の私 その序説」という記念講演をおこなった。翌69年から1974年にかけ新潮社から『川端康成全集』全19巻の刊行が始まっている。その後、台北のアジア作家会議、ソウルの国際ペンクラブ大会に出席、日本近代文学館の名誉館長にも就任したが、作品の発表数は激減した。
1972年(昭和47年)4月16日、逗子マリーナ・マンションの仕事部屋でガス自殺。享年72。戒名は、文鏡院殿孤山康成大居士、大道院秀誉文華康成居士。ノーベル賞受賞後発表した作品は、未完となった『たんぽぽ』の他には、短編が数作品あるだけであり、ノーベル賞の受賞が重圧になったといわれる。以前より睡眠薬を常用していた。遺書はなかったが、理由として交遊の深かった三島の割腹自殺(三島事件)、都知事選応援に担ぎ出され候補が落選したことへの羞恥、老いへの恐怖などによる強度の精神的動揺があげられる。翌年に財団法人川端康成記念会によって川端康成文学賞がつくられ、1985年(昭和60年)には茨木市立川端康成文学館が開館した。また、大阪府茨木市名誉市民であった。
ただし、自殺については否定的な意見もある。川端が日本ペンクラブ会長時に信頼を寄せた同副会長の芹沢光治良は「川端康成の死」と題して、自殺ではなかったとする説を随筆に書いている。
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2009年09月11日

『古都』(☆☆☆☆:小説おすすめ度)

『古都』(こと)は、川端康成の小説。古都・京都を舞台に、生き別れになった双子の姉妹の数奇な運命を描いた物語。『朝日新聞』に1961年10月から1962年1月まで連載、同年に新潮社より刊行された。

<あらすじ>
京都とその四季の行事を舞台とした双子姉妹の物語。双子に生まれながらも生い立ちが異なる千重子と苗子。かたや京呉服問屋の娘、かたや北山杉の村の娘。二十歳になった二人は偶然に出会い、双子であることを知る。そして千重子に想いを拒まれた秀男は、同じ顔を持つ苗子にその幻を見たのか。

<感想>
京都における四季折々の行事が詳細に事細かに美しく描かれています。本作の読みどころとして、私は人間劇そのものに強く惹かれました。双子の姉妹の生い立ち、再会、家族、姉妹という繋がり、当時のしきたり、そして一人の男。しかし物語は決して嵐の展開を見せることはないです。あくまでも家族や姉妹への思いやること、その範囲内でそれぞれが最良だと思う選択をすること。それぞれの思いやりが、温もりを帯びた静かな台詞と共に溢れ出すのを感じます。さらにその際の京の言葉遣いが、なんとも言えない落ち着きと温かみを醸し出し、より一層我々読者を魅了します。また、時折垣間見える、姉妹を越えた女としてのプライドもアクセントとして見逃せません。何度でも読み返したくなる素晴らしい小説です。

〜『古都』、川端康成〜
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2009年08月13日

『雪国』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『雪国』(ゆきぐに)は、川端康成の長編小説で代表作の一つ。1935年以降、『文藝春秋』『改造』などに分載された。雪国を舞台に主人公・島村と2人の女性、駒子・葉子の人間関係を描く。枕草子や和歌などの系譜にある日本的な美意識を発現しているとされ、情景や心情の描写が特に高く評価されている。作品のストーリーはそのクライマックスに突然に終わるような印象であるが、作品の展開が美の頂点に達しその低下を予想させる直前を狙って話を終了させていると考えられている。

<あらすじ>
12月始め、主人公の島村は鉄道で雪国に向かい、車中で病人らしい男と一緒にいる娘・葉子に興味を惹かれる。島村が降りた駅で、その二人も降りた。旅館に着いた島村は以前に会った駒子を呼んでもらい、朝まで過ごす。
駒子に会ったのは新緑の5月、山歩きをした後、島村が初めての温泉場を訪れた時のことである。芸者の手が足りないため、島村の部屋にお酌に来たのが19歳の駒子であった。次の日島村が、女を世話するよう頼むと駒子は断ったが、夜になると酔った駒子が部屋にやってきて、二人は一夜を共にしたのだった。
昼の散歩中、街道で出会った駒子に誘われ、住んでいる部屋に寄ってみると、踊りの師匠の家の屋根裏部屋であった。車内で見かけた二人は師匠の息子(行男)とその愛人(葉子)だったことを知る。行男は腸結核で長くない命だという。その後、按摩から聞いた話で、駒子は行男の許婚者で、治療費のため芸者に出たと知る(ただし、本人は許婚者ではないと否定する)。滞在中は毎晩駒子と過ごし、独習したという三味線の音に感動を覚えたりする。島村が帰る日になって、行男が危篤だという報せが入るが、駒子は死ぬところを見たくないと言い、島村を駅まで送る。
翌年秋、島村は再び温泉場を訪れる。駒子が来て、2月に来る約束を破ったとなじる。あの後、行男が亡くなり、師匠も亡くなったと聞き、島村は駒子と墓参りに行く。墓地で葉子に出会うと、駒子の機嫌が悪くなる。
駒子は毎日島村の部屋に通ってくる。ある晩、葉子が駒子からの伝言を持ってくる。島村は葉子にも魅力を覚え、言葉を交わす。葉子は、東京へ連れて行ってほしいという。葉子が帰った後、駒子が来たので家まで送ってゆく(今は葉子の家を出て、駄菓子屋の2階にいる)。再び二人で旅館に戻り、酒を飲む。島村が「いい女だ」と言うと、その言葉を聞き違えて怒った駒子は泣く。
島村は家族を忘れたように、冬の温泉場に逗留を続ける。ある夜、映画の上映会場になっていた繭倉(兼芝居小屋)が火事になる。人垣が見守る中、葉子が繭倉の2階から投げ出される。駒子は葉子を抱きしめる。

<感想>
つまらい授業のときになんとなく読みはじめて、読み始めるとすぐに自然に引き込まれた本でした。あまりにも退屈でちょっと暗い印象さえあった教室で、文章の鮮やかな印象に打たれたのをはっきり覚えています。川端康成作品の硬質で端的な美しい文章には、情景をくっきりと描いて読む側にとても鮮やかな強い印象を残すようなところがあると思います。淀みのない美しさは特別で、考えるよりも実感として直接打たれる感じです。優れていると言われる作品の、本当の素晴らしさがわかりました。

〜『雪国』、川端康成〜
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2009年08月09日

『伊豆の踊子』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『伊豆の踊子』(いずのおどりこ)は、川端康成の短編小説。1926年1、2月に「文芸時代」に発表され、同年金星堂刊。湯ヶ島、天城峠を越えて下田に向かう旅芸人一座と道連れになった、孤独に悩む青年の淡い恋と旅情を描く。

<あらすじ>
二十歳の「私」は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出る。 旅芸人の踊子達と一高生という階級格差を超えた生身の人間同士の交流を通して、青年が人の温かさを肌で感じ、作品内にある孤児根性から抜け出せると感じるに至る。

<感想>
大人になって読み直して、一座の人間関係も理解できたし、「私」の立場も飲み込めた気がします。主人公は二十歳、踊子は十四歳ですがいずれも数え年。川端康成が実際に体験したことを元にしているらしい。題は「伊豆の踊子」ですが、主人公はあくまでも「私」であり、「私」の知り得ないことは書いていません。その点は映画やテレビとは違います。映画は、今回読んだ本に収録されていた「温泉宿」を元にして新たな登場人物を作りだしていたことを知りました。個人的には「伊豆の踊子」という題が好きです。題名が良いために何度も映像化されているのではないでしょうか。川端の作品の底を流れるのが幸少なき人々への同情と共感。この小説ではそれが旅の踊り子(とその一団)に向けられた大学生の視線に表れています。読者がそれを意識しようとしまいと、それは行間にあふれています。これは単なる恋物語ではありません。

〜『伊豆の踊子』、川端康成〜
posted by 推理小説家 at 11:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 川端康成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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