2010年01月17日

宮沢賢治

宮沢賢治

宮沢賢治(みやざわけんじ、本名:宮澤-、1896年8月27日(戸籍上は8月1日)- 1933年9月21日)は、日本の詩人、童話作家。

郷土岩手の地を深く愛し、作品中に登場する架空の理想郷に、「岩手(いはて)」をエスペラント風にしたイーハトヴ(Ihatov、イーハトーブあるいはイーハトーヴォ(Ihatovo)等とも)と名づけた。 その空前・独特の魅力にあふれた作品群によって没後世評が急速に高まり国民的作家とされるようになった。

生前に刊行された唯一の詩集として『春と修羅』、同じく童話集として『注文の多い料理店』がある。また、生前に雑誌や新聞に投稿・寄稿した作品も少ないながら存在する(『やまなし』『グスコーブドリの伝記』など)。ただし、賢治が受け取った原稿料は、雑誌『愛国婦人』に投稿した童話『雪渡り』で得た5円だけであったといわれる。 しかし生前から注目されていた経緯もあり、死の直後から、主に草野心平の尽力により多数の作品が刊行された。また、何度も全集が刊行された。
広く作品世界を覆っているのは、作者みずからの裕福な出自と、郷土の農民の悲惨な境遇との対比が生んだ贖罪感や自己犠牲精神である。また幼い頃から親しんだ仏教も強い影響を与えている。その主な契機としては浄土真宗の暁烏敏らの講話・説教が挙げられるが、特に18歳の時に同宗の学僧島地大等編訳の法華経を読んで深い感銘を受けたと言われる。この法華経信仰の高まりにより賢治は後に国粋主義の法華宗教団国柱会に入信するが、法華宗は当時の宮沢家とは宗派違いであったので、父親との対立を深めることとなった。弱者に対する献身的精神、強者への嫌悪などの要素はこれらの経緯と深い関わりがあると思われる。また、良き理解者としての妹トシの死が与えた喪失感は以後の作品に特有の陰影を加えた。
なお、特筆すべきは作者の特異で旺盛な自然との交感力である。それは作品に極めて個性的な魅力を与えた。賢治作品の持つ圧倒的魅力はこの天性を抜きには説明できない。
また、童話作品においては擬声語(オノマトペ)を多用し、作品によっては韻文にも近いリズム感を持った文体を使用したことも大きな特徴である。賢治の童話は同時代に主流とされた『赤い鳥』などの児童文学作品とはかなり異質なものであった。
賢治の作品にはコスモポリタン的な雰囲気があり、軍国的要素やナショナリズム的な要素を直接反映した作品はほとんどみられないが、賢治は24歳に国柱会に入信してから、時期によって活動・傾倒の度合いに差はあるものの生涯その一員であり続けたので、その社会的活動や自己犠牲的な思想について、当時のファシズム的風潮との関連も議論されている。また、当時流行した社会主義思想(親友・保阪嘉内など)やユートピア思想(「新しき村(武者小路実篤)」、「有島共生農場(有島武郎)」、トルストイ・徳富蘆花、「満州・王道楽土(農本主義者・加藤完治や、国柱会の石原莞爾)」など)の社会思潮の影響を考えるべきであるという見解も見られる。晩年には遺作『銀河鉄道の夜』に見られるようにキリスト教の救済信仰を取り挙げ、全人類への宗教的寛容に達していたことがうかがえる。 戦後は賢治の生き方や作品にみられるヒューマニズムや平和主義的側面が注目され、特に近年はエコロジー思想とも関連づけられて高く評価されることが多い。
賢治は、いったん完成した作品でも徹底して手を加えて他の作品に改作することが珍しくなかった。この点から賢治は「最終的な完成」がない特異な創作概念を持っていたという見方があり、自身が書き残した『農民芸術概論綱要』においても「永久の未完成これ完成である」という記述がある。多くの作品が死後に未定稿のまま残されたこともあり、作品によっては何度もの修正の跡が残されて全集の編集者が判読に苦労するケースも少なくなかった。そうした背景から、原稿の徹底した調査に基づき逐次形態をすべて明らかにする『校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房、1973〜77年)が刊行され、作品内容の整理が図られた。
これらの草稿調査によって賢治の遺稿はほぼ調べ尽くされたと見られていたが、生家の土蔵から未発表の詩の草稿1枚(地形図の裏に書かれたもの)が発見されたことが2009年4月に公表された。
賢治は音楽に深い関心を持っており、自身が作詞作曲の歌がいくつか残されている。 代表作「星めぐりの歌」は賢治ゆかりの作品等を通じて現在でも親しまれている。 この歌は知人の採譜によって譜面化されたものであり、直筆の譜面は存在しない。
賢治は自ら学んだエスペラントでも詩作を試みたが、公表されたのは1953年である。これらの作品のほとんどは自らの作品のエスペラントへの翻訳、改作である。
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2009年08月14日

『風の又三郎』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『風の又三郎』(かぜのまたさぶろう)は、宮沢賢治の短編小説。 賢治が亡くなった翌年(1934年)に発表された作品である。谷川の岸の小さな小学校に、ある風の強い日、不思議な少年が転校してくる。少年は地元の子供たちに風の神の子ではないかという疑念とともに受け入れられ、さまざまな刺激的行動の末に去っていく。その間の村の子供たちの心象風景を現実と幻想の交錯として描いた物語。

<あらすじ>
9月1日(木曜):山あいの小さな学校(分教場)に変わった姿の転校生高田三郎が現れた。みんなは伝説の風の精、風の又三郎だと思う。
9月2日(金曜):彼は学校で少し変わった態度を見せ、みんなを緊張させる。
9月4日(日曜):みんなで高原へ遊びに行く。嘉助が牧場の柵を開けてしまう。逃げた馬を追った嘉助は、深い霧の中で迷って昏倒し、三郎がガラスのマントを着て空を飛ぶ姿を見る。
9月6日(火曜):みんなと一緒にヤマブドウ採りに出かけた三郎はタバコ畑の葉をむしってみんなの非難を浴び、また耕助と風について言い争いをするが、最後には仲直りをする。
9月7日(水曜):みんなは川へ泳ぎに行き、大人の発破漁に遭遇したり、三郎を捕まえに来た専売局の人らしい男から三郎を守ろうとする。
9月8日(木曜):また川で遊ぶが、夢中の遊びの後天候が急変して、だれかが三郎をはやしたて、皆がそれに加わる。三郎は血相を変え、ふるえながら追求するが、全員とぼけて答えない。
9月12日(月曜):一郎は三郎から聞いた風の歌の夢を見て飛び起きる。折からの台風に一郎と嘉助は三郎との別れを予感し、早めに登校する。すると案の定、先生から三郎が前日に転校して学校から去ったことを知らされる。

<感想>
私は小学校時代に読みました。最後まで「風の又三郎は 風の精でした」という一言がなくてもどかしい思いをした事を憶えています。どう考えても風の精のはずなのですが。宮沢賢治も意地悪だ、当時はそんなことを思っていました。宮沢賢治の「力」はその独特の「日本語」にあります。実際、賢治の言葉は言霊ともいうべき魔力に満ちています。こんな独特な日本語は他ではお目にかかれません。宮沢賢治の資質は基本的には詩人であるというのが私の独断です。そんな詩人が書いた童話は散文詩と言ってよいでしょう。『風の又三郎』もそんな詩人のマスターピースの一つです。それも比類の無い。風の精だったのだろうか。未だに答えは出ません。後20年くらい経ったら、また考えてみたいと思います。

〜『風の又三郎』、宮沢賢治〜
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『銀河鉄道の夜』(☆☆☆☆☆:小説おすすめ度)

『銀河鉄道の夜』(ぎんがてつどうのよる)は、宮沢賢治の童話作品。孤独な少年ジョバンニが、友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする物語で、宮沢賢治童話の代表作のひとつとされている。

<あらすじ>
[一、午后の授業]
銀河系の仕組みについての授業。、天の川について先生に質問されたジョバンニは、答えを知りつつ答えることができない。次に指されたカムパネルラも、答えない。
[二、活版所]
放課後ジョバンニは活版所で活字拾いのアルバイトをする。周囲の大人たちの態度は冷ややかである。仕事を終えたジョバンニは、パンと角砂糖を買って家へ急ぐ。
[三、家]
牛乳の未配達を知る。病気の母と、漁に出たきり帰ってこない父のことやカムパネルラのことなどを話す。牛乳屋へ行くついでに烏瓜を川へ流すのを見に出かける。
[四、ケンタウル祭の夜]
母の牛乳を取りに牛乳屋に行くが、出てきた老婆は要領を得ず牛乳をもらえない。途中で、同級生のザネリたちに会い、からかわれる(一緒にいたカムパネルラは気の毒そうに黙って少し笑っている)。銀河祭りに行くザネリたちと反対に、ジョバンニは一人町外れの丘へ向かう。
[五、天気輪の柱]
天気輪の柱の丘でジョバンニは一人寂しく孤独を噛み締め、星空へ思いを馳せる。
[六、銀河ステーション]
突然、耳に「銀河ステーション」というアナウンスが響き、目の前が強い光に包まれ、気がつくと銀河鉄道に乗っている。見るとカムパネルラも乗っていた。
[七、北十字とプリオシン海岸]
北十字の前を通った後、白鳥の停車場で20分停車する。二人はその間にプリオシン海岸へ行き、クルミの化石を拾う。 大学士が牛の化石を発掘している現場を見る。
[八、鳥を捕る人]
気のいい鳥捕りが乗車してくる。彼は、鳥を捕まえて売る商売をしている。ジョバンニとカムパネルラは鳥捕りに雁を分けてもらい食べるが、お菓子としか思えない。突然鳥捕りが車内から消え、川原でさぎを捕り、また車内に戻ってくる。
[九、ジョバンニの切符]
検札があり、ジョバンニは自分の切符だけが天上でもどこまででも行ける特別の切符であると知る。
[以下、章立てなし])
鳥捕りが消え、青年と姉弟が現れる。彼らは、乗っていた客船が氷山に衝突して沈み、気がつくとここへ来ていたのだという。
アルビレオの観測所、鷲の停車場、蠍(さそり)の火、ケンタウルの村を通過する。同乗の少女から、さそりの火のエピソードを聞く。 少女たちと別れ際に宗教的な議論が交わされる。 天上と言われるサウザンクロス(南十字)で、乗客たちは降りてゆき、ジョバンニとカムパネルラだけが残される。二人は「ほんとうのみんなのさいわい」のために共に歩もうと誓いを交わす。 その直後、車窓に現れた石炭袋を見たふたりは、非常な恐怖に襲われる。 ジョバンニはカムパネルラをはげますが、カムパネルラは気の乗らない返事したのち、「あすこにいるの僕のお母さんだよ」といい残し、いつの間にかいなくなってしまう。
一人丘の上で目覚めたジョバンニは町へ向かう。カムパネルラが、川に落ちたザネリを救った後、溺れて行方不明になったことを知る。 カムパネルラの父(博士)からもうすぐジョバンニの父が帰ってくる手紙が来たと告げられる。 ジョバンニはまだ暖かい牛乳と父の知らせを持って母の元に帰る。

<感想>
小学生の頃に読んだときは「星座を駆け巡る幻想的で悲しい汽車旅物語」といった程度の印象だったような気がします。年をとって大人になった今、改めて読み返すと、この作品に込めた宮沢賢治の考えの深さに感銘を受けました。宮沢賢治は、岩手県農民のくらしを何とか良くしようと様々な社会実践を試行した37歳の短い生涯の終着駅にむかう病床の中でこの童話を書いています。縦糸は生と死、横糸は宇宙とふるさと。うつくしさとかなしさが交差する風景の中を、様々な人との出会いが少年に影響を与えながら夜汽車が立体的に進む。宮沢賢治の没後に出版されたこの童話は、「ほんとうの幸せとは何だろう」と考える世界中の人々の魂を揺さぶりつづけています。心が乾いてしまったとき、そして大事な人との別れからどうしても立ち直れないとき、この物語はきっと癒してくれるでしょう。日本を代表する童話作家のまぎれもない最高傑作です。

〜『銀河鉄道の夜』、宮沢賢治〜
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2009年08月13日

『注文の多い料理店』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『注文の多い料理店』(ちゅうもんのおおいりょうりてん)は、宮沢賢治の児童文学の短編集であり、またその中に収録された表題作である。短編集としては賢治の生前に出版された唯一のものであり、童話としても『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』などとともに賢治の代表作として知られる。

<あらすじ>
イギリス風の身なりで猟銃を構えた2人の青年紳士が山奥に狩猟にやってきたが、獲物を一つも得られないでいた。やがて山の空気はおどろおどろしさを増し、山の案内人が途中で姿を消し、連れていた猟犬が2匹とも恐ろしさに泡を吹いて死んでしまっても、彼らは「2千4百円の損害だ」、「2千8百円の損害だ」と、表向き金銭的な損失だけを気にする。しかし、山の異様な雰囲気には気付いたらしく、宿へ戻ろうとするが、山には一層強い風が吹き、木々がざわめいて、帰り道を見つけることができない。途方に暮れたとき、青年たちは西洋風の一軒家を発見する。そこには「西洋料理店 山猫軒」と記されており、2人は安堵して店内へと入っていく。 入ってみると、「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはごしょうちください。」という注意書きがあるのに気付く。これを2人は「はやっている料理店で、注文が多いために支度が手間取る」という風に解釈して扉を開けると、そこには「髪をとかして、履き物の泥を落とすこと」という旨の注意書きがあるだけだった。以後、扉を開けるごとに2人の前には注意書きが現れる。中には「金属製のものを全て外すこと」といった少し首をかしげる注意書きもあったが、「料理の中に電気を使用するものがあって危ないからだ」というように、2人はことごとく好意的に解釈して注意書きに従い、次々と扉を開けていく。
しかし、扉と注意書きの多さを2人がいぶかしんだ頃、
「いろいろ注文が多くてうるさかつたでせう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだ中に、壷の中の塩をたくさんよくもみ込んでください」
という注意書きが現れ、二人は顔を見合わせ、これまでの注意書きの意図を察する。これまで、衣服を脱がせ、金属製のものを外させ、頭からかけさせられた香水に酢のようなにおいがしたのは、全て2人を料理の素材として食べるための下準備であったのだ。「西洋料理店」とは、「来た客に西洋料理を食べさせる店」ではなく、「来た客を西洋料理として食ってしまう店」を意味していた。気付くと、戻る扉は開かず、前の扉からは目玉が二つ、鍵穴からこちらを見つめている。あまりの恐ろしさに二人は身体が震え、何も言えず、ただただ泣き出してしまい、顔は紙くずのようにくしゃくしゃになってしまう。
そのとき、後ろの扉を蹴破って、死んだはずの2匹の犬が現れ、先の扉に向かって突進していく。格闘するような物音が聞こえたあと、気付くと屋敷は跡形もなく消え、2人は寒風の中に服を失って立っているのに気付く。そこへ山の案内人が現れ、二人は宿へと、やがて都会へと帰っていったが、恐ろしさのあまりくしゃくしゃになった顔は、どうやっても元には戻らなかった。

<感想>
「銀河鉄道の夜」「春と修羅」等と並ぶ宮沢賢治の代表作品。料理店を訪れた2人の客に次々と出される「謎の注文」。料理店側が2人を歓迎してくれているという客側の「勘違い」と、その裏側で進行される「謎の料理店の真意」とは。短編としての読み易さ、丁寧な言葉遣いに反して、読み終えた後に心に残る「不気味さ」「奇妙さ」「恐怖」。心の底から「怖い」というのとはまた違った、所謂「ちょい怖」とでも言うべき「匙加減の絶妙さ」に酔いしれて下さい。『注文の多い料理店』はそもそも童話として意図されているので、宮沢賢治の作品のなかでは大変分かりやすい作品です。山の中にある料理店、というだけ怪しい雰囲気を漂わせ、その後は間抜けな客にハラハラ。後半登場する山猫も「怖い」と思わせます。ストーリーがよくできています。「銀河鉄道の夜」のような精神性への言及はありませんが、よくできた童話の持つストーリーのメリハリとその卓越が感じられます。

〜『注文の多い料理店』、宮沢賢治〜
posted by 推理小説家 at 21:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 宮沢賢治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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