2010年01月16日

志賀直哉

志賀直哉

志賀直哉(しがなおや)は、日本の小説家。宮城県石巻市生まれ。白樺派を代表する小説家のひとり。代表作は『暗夜行路』、『和解』、『小僧の神様』、『城の崎にて』。
志賀直哉の祖父・志賀直道は、旧相馬中村藩主相馬家の家令を勤め、古河財閥創始者古河市兵衛と共に足尾銅山の開発をし、相馬事件にも係わった。父直温は総武鉄道や帝国生命保険の取締役を経て、明治期の財界で重きをなした人物。第一銀行石巻支店に勤務していた父・直温の任地宮城県石巻市に生まれ、3歳より上京し祖父母のもと東京で育てられた。
学習院初等科、中等科、高等科を経て、東京帝国大学文学部英文学科入学。明治41年(1908年)ごろ、7年間師事した内村鑑三の下を去り、キリスト教から離れる。国文学科に転じた後に大学を中退した。学習院時代から豊富な資金力にものを言わせ、同じような境遇の友人たちと放蕩の限りを尽くす。
同じ年に『城の崎にて』『和解』を発表。その後も『小僧の神様』、『焚火』などの名作を生んだ。推敲を尽くした簡潔な文体は、「無駄のない文章」として、大正から昭和にかけて多くの文学者に大きな影響を及ぼし、小説の神様とも称された。
著者唯一の長編小説である『暗夜行路』(1921年 - 1937年)は近代日本文学の代表作の一つに挙げられ、小説家・大岡昇平は近代文学の最高峰であると讃えている。
小林秀雄は、視覚的把握の正確さをよく受けとめ評価している。
志賀直哉の後半生は、昭和24年(1949年)、親交を深めていた谷崎潤一郎と共に文化勲章受章。交友関係では、学習院以来の武者小路実篤、細川護立、柳宗悦らの他、梅原龍三郎、安倍能成、広津和郎、安井曽太郎、谷川徹三ら、限定されつつも一流の文化人と交流があり、その様子は、残された多くの日誌、書簡にみることができる。
晩年は渋谷常盤松に居を移し、昭和46年(1971年)に88歳で肺炎と衰弱のため没した。没後、多くの原稿類は日本近代文学館に寄贈された。岩波書店から『志賀直哉全集』が数次出版されている。
志賀に師事した作家として、瀧井孝作、尾崎一雄、 広津和郎、網野菊、藤枝静男、島村利正、直井潔、阿川弘之、小林多喜二らがいる。
白樺文学館(千葉県我孫子市)は、志賀の原稿、書簡、ゆかりの品を公開している。

白樺派の作家であるが、作品には自然主義の影響も指摘される。無駄のない文章は小説の文体のひとつの理想と見なされ評価が高い。芥川龍之介は、志賀の小説を高く評価し自分の創作上の理想と呼んだ。当時の文学青年から崇拝され、代表作「小僧の神様」にかけて「小説の神様」に擬せられていたが、太宰治から長篇小説『津軽』の中で批判を受けて立腹し、座談会の席上で太宰を激しく攻撃、これに対して太宰も連載評論「如是我聞」を書いて志賀に反撃したことがある。
小林多喜二は志賀直哉に心酔しており、作品の評を乞うたこともあるが、多くのプロレタリア文学作家が共産党の強い影響下にあることを指摘して「主人持ちの文学」と評し、プロレタリア文学の党派性を批判した[1]。その後、小林没後の1935年のインタビューでは、人をうつ力があれば主人持ちでもかまわないという趣旨の発言をしている(聞き手は貴司山治)。また、戦後一時期新日本文学会の賛助会員として名を連ねたが、中野重治が発表した文章に不快感をおぼえ、賛助会員を辞退したということもあった。
戦時中は短文「シンガポール陥落」等を発表して当時の軍国主義的風潮に流される傾向にあったにもかかわらず、敗戦後は掌を返したように変節。日本語を廃止してフランス語を公用語にすべしと説いたこともしばしば批判されている。批判者の代表として丸谷才一を挙げることができる。これに対して蓮實重彦は『反=日本語論』や『表層批評宣言』などの中で志賀を擁護した。
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2009年08月21日

『城の崎にて』(☆☆☆:小説おすすめ度)

「城の崎にて」(きのさきにて)は、志賀直哉の短編小説。1917年(大正6年)5月の「白樺」に発表。心境小説の代表的な作品とされる。

<あらすじ>
東京山手線の電車にはねられ怪我をした「自分」は、後養生に城崎温泉を訪れる。「自分」は一匹の蜂の死骸に、寂しいが静かな死への親しみを感じ、首に串が刺さった鼠が石を投げられ、必死に逃げ惑っている姿を見て死の直前の動騒が恐ろしくなる。そんなある日、何気なく見た小川の石の上にイモリがいた。驚かそうと投げた石がそのいもりに当って死んでしまう。哀れみを感じると同時に生き物の淋しさを感じている「自分」。これらの動物達の死と生きている自分について考え、生きていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかったという感慨を持つ。そして命拾いした「自分」を省みる。

<感想>
城之崎に旅行に行ったことがあります。城之崎は情緒溢れる温泉街で、のんびりとできました。個人的な話になりますが、自分の盲腸の手術の時に、麻酔が効かずに「ノーキエロ」とスペイン語で叫んだことがあります。人は窮地に追い込まれると何を言うかがわからないという経験があります。私小説は、他人には分からないかもしれないということの証かもしれません。

〜『城の崎にて』、志賀直哉〜
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2009年08月20日

『小僧の神様』(☆☆☆☆:小説おすすめ度)

「小僧の神様」(こぞうのかみさま)は、志賀直哉の短編小説。1920年(大正9年)に雑誌「白樺」にて発表された作品。この作品がきっかけで志賀直哉は「小説の神様」と呼ばれるようになるほど知名度を上げる。

<あらすじ>
神田の秤屋で奉公をしている仙吉(小僧)は、番頭達の話で聞いた鮨屋に行ってみたいと思っていた。ある時、使いの帰りに鮨屋に入るものの、金が足りずに鮨を食べることができない仙吉を見かけた貴族院の男(A)は、後に秤屋で仙吉を見つけ、鮨を奢る。しかし、Aに見られていたことを知らない仙吉は「どうして鮨を食いたいことをAが知っているのか」という疑問から、Aは神様ではないかと思い始める。仙吉はつらいときはAのことを思い出しいつかまたAが自分の前に現れることを信じていた。ちなみに本文の十節には「『Aの住所に行ってみると人の住まいが無くそこには稲荷の祠があり小僧は驚いた』というようなことを書こうかと思ったが、そう書くことは小僧に対して少し残酷な気がしたため、ここで筆を擱く」 というような擱筆の文が挿入されている。

<感想>
志賀直哉はわざとらしい技巧を嫌った人でした。芥川の「妖婆」という短編について、さらわれた女の子が見つかるシーンで主人公達の服が風になびくという描写があります。しかし、せっかく女の子に移った読者の視線が服に移り、また女の子に戻らせられるという忙しさから、下手糞な描写として芥川本人に指摘したというエピソードが残ってます(=「沓掛にて」より)。このように「作為」を削ることに専心した彼の作風が、年を経るに従い「私小説」すら飛び越えて限りなくエッセイに近いものになっていったのは当然といえば当然でしょう。また読後の余韻を大変気にした人でもあり、弟子の阿川弘之によると、作品の良し悪しの判断は殆どそこに尽きると考えていたようです。このようなエピソードを踏まえると、確かにどの作品も無駄なものが削ぎ落とされて大変読みやすい一方で、読後に心に残る余韻が何ともいえないことが共通していることが感じられます。名人程、最小限の作為・動きで作品を作るという点では、工芸や伝統美術の世界に通じるものすら感じます。さすが「神様」と呼ばれた作家であります。

〜『小僧の神様』、志賀直哉〜
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『暗夜行路』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『暗夜行路』(あんやこうろ)とは志賀直哉の小説である。雑誌「改造」に1921年(大正10年)1月号から8月号まで前編、1922年(大正11年)1月号から1937年(昭和12年)4月号まで断続的に後編を発表。志賀直哉唯一の長編小説で晩年の穏やかな心境小説の頂点に位置づけられる作品。四部構成。なお当初は1914年(大正3年)に『時任謙作』という題で東京朝日新聞に連載される予定だったが、挫折。完結までに17年間の時を要し、大変な難産だった。

<あらすじ>
主人公時任謙作は、放蕩の毎日を送る小説家。あるとき尾道に旅に出た彼は、祖父の妾お栄と結婚したいと望むようになる。そんな折、実は謙作が祖父と母の不義の子であったことを知り苦しむ。ようやく回復し直子という女性と結婚するが直子が従兄と過ちを犯したことで再び苦悩を背負い、鳥取の大山に一人こもる。大自然の中で精神が清められてすべてを許す心境に達し、「暗夜行路」に終止符を打つ。

<感想>
『暗夜行路』は色々な要素が複雑に絡まり合った巨大な作品ですが、「赦し」は本作における主要なモチーフの一つだと思いました。自我の絶対的な肯定を前提にしているだけあって「赦す」ことの倫理学的妥当性が自明のものとして問われることはありませんが、そのような検討の必要性をまったく感じさせないあたりも志賀直哉の強さなのかもしれません。もっとも赦しの実現によって作品が閉じられるわけではなく、むしろ未解決のまま未来に託されていくことで、この問題が安易に解決され得ない生涯にわたって追い続けるべきものであることが示されるのです。一語一語苦しみ悶えながら刻みつけられたであろうことが明白な文章に、私はある種の畏敬の念を覚えずにはいられませんでした。大江健三郎や谷崎潤一郎の作品のように物語を追求した文学は確かに面白いです。でも、虚飾を排し人間の存在をそのまま鏤刻したような文学も素晴らしいものです。この小説を読んでこうした作品の本質的な素晴らしさを味わって頂きたいです。

〜『暗夜行路』、志賀直哉〜
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