2010年01月04日

泉鏡花

泉鏡花

泉鏡花(いずみきょうか、1873年(明治6年)11月4日 - 1939年(昭和14年)9月7日)は、明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家。戯曲や俳句も手がけた。本名、鏡太郎。金沢市下新町生れ。
尾崎紅葉に師事した。『夜行巡査』『外科室』で評価を得、『高野聖』で人気作家になる。江戸文芸の影響を深くうけた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで知られる。また近代における幻想文学の先駆者としても評価される。代表作に『婦系図』『歌行燈』『夜叉ヶ池』など。

[上京まで]
1873年(明治6年)11月4日、石川県金沢市下新町に生れる。父・清次は、工名を政光といい、加賀藩細工方白銀職の系譜に属する象眼細工・彫金等の錺職人。母・鈴は、加賀藩御手役者葛野流大鼓方中田万三郎豊喜の末娘で、江戸の生れ。幼少期における故郷金沢や母親の思い出は後年に至るまで鏡花の愛惜措くあたわざるものであり、折にふれて作品のなかに登場する。
1880年(明治13年)4月、市内養成小学校に入学。1883年(明治16年)12月に母が次女やゑ出産直後に産褥熱のため逝去し(享年29)、鏡花は幼心に強い衝撃を受ける。
1884年(明治17年)6月、父とともに石川郡松任の摩耶夫人像に詣った。このとき以来、鏡花は終生、摩耶信仰を保持した。9月、金沢高等小学校に進学、翌年には一致教会派のミッション・スクール北陸英和学校に転じ英語を学ぶが、1887年(明治20年)にはここも退学し、市内の私塾で英語などを講じた。金沢専門学校(後の第四高等学校)進学をめざしての退学であったようだが、早くに志を改めたらしい。
1889年(明治22年)4月、友人の下宿において尾崎紅葉の『二人比丘尼 色懺悔』を読んで衝撃を受け、文学に志すようになる。また6月に富山旅行。この時期、叔母などに小遣いをせびって貸本を濫読するとともに、私塾の講師のようなことを務めていたが、11月に紅葉の門下に入ることを志して上京。
1891年(明治24年)10月19日、ついに牛込の紅葉宅を訪ね、快く入門を許されて、その日から尾崎家での書生生活をはじめる。翌年12月、金沢市の大火の際に一時帰郷した以外、鏡花は尾崎家にあって、原稿の整理や雑用にあたり、紅葉の信頼をかち得る。

[『高野聖』まで]
1893年(明治26年)5月、京都日出新聞に真土事件を素材とした処女作「冠弥左衛門」を連載。紅葉の斡旋による。紅葉は新聞社の不評を理由にした打切り要請を説得し、慣れない鏡花にアドバイスを与えながら、ついにこれを完結させた。同年さらに「活人形」(探偵文庫)、「金時計」(少年文学)を発表。8月には脚気療養のため一時帰郷し、その序に京都、北陸に遊んで後に帰京。このときの紀行をもとに『他人の妻』を執筆する。
1894年(明治27年)1月、父が逝去し、再び金沢に帰る。生活の術を失い、文筆をもって米塩の途とせんことを切に願う。「予備兵」「義血侠血」などを執筆し、紅葉の添削を経て読売新聞掲載。実用書の編纂などで家計を支えながら、1895年(明治28年)には初期の傑作「夜行巡査」(文芸倶楽部)と「外科室」(同前)を発表。「夜行巡査」は、『青年文学』において田岡嶺雲の賛辞を得、このおかげで「外科室」は『文芸倶楽部』の巻頭に掲載されることになった。ここに鏡花の文壇における地歩は定まった。この年6月、金沢に帰り、祖母を見舞う。
脚気が完治せず体調は悪かったが、1896年(明治29年)にはさらに「海城発電」(太陽)、「琵琶伝」(国民之友)、「化銀杏」(青年小説)を発表し、賛否両論を受けた。5月には金沢の祖母を引きとって一家を構え、旺盛に執筆を続け、ついに10月には読売新聞に「照葉狂言」の連載をはじめる。1897年(明治30年)に『化鳥』『笈ずる草紙』、1898年(明治31年)に『辰巳巷談』など。このころ酒の味を覚え、盛んに遊び歩く。1899年(明治32年)には『湯島詣』を春陽堂から書きおろし刊行。1900年(明治33年)「高野聖」(新小説)、1901年(明治34年)「袖屑風」(同前)、1902年(明治35年)「起請文」(同前)などを世に問う。

[『歌行燈』前後]
1902年(明治35年)、胃腸病のため逗子に静養。吉田賢龍の紹介によって知った伊藤すずが台所を手伝いにくる。翌1903年(明治36年)5月、二人は牛込神楽坂に同棲をはじめる。この年10月30日、尾崎紅葉が急逝し、衝撃を受ける。鏡花は硯友社同人とともに紅葉の葬儀を取り仕切った。
11月、『国民新聞』に「風流線」を連載し始める。1904年(明治37年)、『紅雪録』正続。1905年(明治38年)、「銀短冊」(文芸倶楽部)、「瓔珞品」(新小説)。1906年(明治39年)、「春昼」(同前)。同年には祖母を喪い、胃腸病はさらに悪化してほとんど病床にあった。翌1907年(明治40年)1月、やまと新聞において「婦系図」の連載開始。1908年(明治41年)、『草迷宮』を春陽堂より刊行。1909年(明治42年)、「白鷺」(東京朝日新聞)。1910年(明治43年)、「歌行燈」(新小説)、「三味線堀」(三田文学)。「三味線堀」掲載にあたっては鏡花を評価していた永井荷風の好意を受ける。この年から『袖珍本鏡花集』(五巻)の発行が始まり、すでにその文名は確立。人気作家の一人となっていた。
1911年(明治44年)、『銀鈴集』を隆文館より刊行。1912年(大正元年)、「三人の盲の話」(中央公論)、1913年(大正2年)、「印度更紗」(同前)。大正期には戯曲にも志を持ち、1913年には「夜叉ヶ池」(演芸倶楽部)、「海神別荘」(中央公論)を発表。1914年(大正3年)、『日本橋』を千章館より刊行し、ここではじめて装画の小村雪岱とのコンビを組む。1915年(大正4年)、「夕顔」(三田文学)。『鏡花選集』と『遊里集』を春陽堂より刊行。1916年(大正5年)、『萩薄内証話』。1917年(大正6年)、「天守物語」(新小説)。1919年(大正8年)、「由縁の女」を『婦人画報』に連載開始。1920年(大正9年)1月、「伯爵の釵」(婦女界)。このころ映画に興味を持ち、谷崎潤一郎や芥川龍之介と相知る。1922年(大正11年)、「身延の鶯」を東京日日新聞に連載開始。同年、『露宿』『十六夜』。1924年(大正13年)、「眉かくしの霊」(苦楽)。

[晩年]
1925年(大正14年)、改造社より『番町夜講』刊行。また春陽堂より『鏡花全集』刊行開始、鏡花を師と仰ぐ里見ク、谷崎潤一郎、水上瀧太郎、久保田万太郎、芥川龍之介、小山内薫が編集委員を務めた。(1927年に完結)。1927年(昭和2年)、「多神教」(文藝春秋)。この年8月、東京日日新聞と大阪日日新聞の招待で十和田湖、秋田などを旅行。またこの年から、鏡花を囲む九九九会(くうくうくうかい)が、里見と水上を発起人として始まり、常連として岡田三郎助、鏑木清方、小村雪岱、久保田万太郎らが毎月集まった。会の名は、会費百円を出すと一円おつりを出すというところから。1928年(昭和3年)、肺炎に罹患し、予後静養のために修善寺を訪れる。この年、各社の文学全集(いわゆる円本)で鏡花集が刊行される。1929年(昭和4年)、能登半島に旅行。この前後、紀行文の類が多い。1930年(昭和5年)、「木の子説法」(文藝春秋)。1931年(昭和6年)、「貝の穴に河童の居る事」(古東多万)。1932年(昭和7年)、「菊あはせ」(文藝春秋)。1934年(昭和9年)、「斧琴菊」(中央公論)。1936年(昭和11年)、戯曲「お忍び」(中央公論)。1937年(昭和12年)、晩年の大作「薄紅梅」を東京日日新聞、大阪毎日新聞に連載する。「雪柳」を中央公論に発表。帝国芸術院会員に任ぜられる。1938年(昭和13年)、体調悪く、文筆生活に入って初めて一作も作品を公表しなかった。
1939年(昭和14年)7月、「縷紅新草」を『中央公論』に発表するも、この月下旬より病床に臥し、9月7日午前2時45分、癌性肺腫瘍のため逝去。10日、芝青松寺にて葬儀がおこなわれ、雑司ヶ谷霊園に埋葬。戒名は幽幻院鏡花日彩居士。佐藤春夫の撰に係る。
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2009年09月23日

『義血侠血』(☆☆☆:小説おすすめ度)

『義血侠血』(ぎけつきょうけつ)は、1894年に出された泉鏡花の小説。法曹をめざす青年を、旅芸人の女性が金銭的援助をするのだが、その金を奪われそうになって犯してしまった殺人事件を、検事となったその青年が断罪する、鏡花の初期の観念小説時代を代表する作品である。のちに「瀧の白糸」の外題で上演され、新派の代表的狂言の一つとなった。

<あらすじ>
法曹をめざす青年を、旅芸人の女性が金銭的援助をするのだが、その金を奪われそうになって犯してしまった殺人事件を、検事となったその青年が断罪する、鏡花の初期の観念小説時代を代表する作品である。

<感想>
現実に肉薄しているような実感味の溢れる描写に惹き込まれます。独自の世界・雰囲気を確立しています。あっさりとした締め括りが特徴的で、その潔さも好印象でした。

〜『義血侠血』、泉鏡花〜
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2009年09月21日

『外科室』(☆☆☆:小説おすすめ度)

「外科室」(げかしつ)は、泉鏡花の短編小説。1895年(明治28年)『文芸倶楽部』に掲載。

<あらすじ>
時は明治。高峰医師によって、貴船伯爵夫人の手術が行われようとしていた。しかし、伯爵夫人は麻酔を受付けようとしない。麻酔をかぐと、心に秘めた秘密をうわごとでいってしまう、そのことを恐れているのだという。夫人が隠し通そうとする秘密とは何か。泉鏡花独特のロマンスがつづられる。

<感想>
一度目をかわしただけで会話すらなかった男性への想いを心中に持ち続け、麻酔なしの手術という異常な行動に走った伯爵夫人は、いかにも「観念的」。しかし、虚構と現実の区別が曖昧となり、フィクションのほうに価値を見出すようになった現代から見ると、決してあり得ない、非現実的な存在とは言い切れません。彼女の愛は、妄想と紙一重だったわけですが、それゆえに美しく純粋なのです。この小説は、愛の発生とその成就の瞬間を鮮烈なまでの美しさで定着させた作品です。

〜『外科室』、泉鏡花〜
posted by 推理小説家 at 19:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 泉鏡花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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