2010年01月23日

ヴィクトル・ユーゴー

ヴィクトル・ユーゴー

ヴィクトル・ユゴー(Victor-Marie Hugo, 1802年2月26日 - 1885年5月22日)はフランス・ロマン主義の詩人、小説家。七月王政時代からフランス第二共和政時代の政治家。
一言でまとめるならば、「波乱に富んだ人生」である。作家としては大成功をおさめ、彼の名前と作品は名声と感動とともに今日まで残っている。しかし、政治家としての彼は逆境の連続であり、さらに幼少の頃から家庭生活は不幸の連続であった。

1819年2月、トゥルーズのアカデミー・デ・ジュー・フロロー(Académie des Jeux floraux)のコンクールに詩が2編入賞する。5月には、詩1編がアカデミー賞(Académie Français)に輝く。12月には『コンセルヴァトゥール・リテレール』(le Conservateur littéraire )誌を創刊、1821年3月まで月2回のペースで発行していた。1820年3月9日、『べリー公爵の死についてのオード』でルイ18世から下賜金を受け、ビッグ・ジャルガルを『コンセルヴァトゥール・リテレール』誌に掲載する(1826年に刊行)。
1822年8月4日に出版した『オードと雑詠集』(Odes et Poésies Diverses )が当時のフランス国王ルイ18世の目に留まり、国王から年1000フランの年金をもらえるようになる。この年金のおかげで、彼はアデールとの結婚を許可される。1823年2月8日に、17世紀末のデンマーク宮廷の陰謀をテーマにした純愛小説『ハン・ディスランド』(Han d'Islande )を匿名で発表し、新雑誌も創刊した。
1829年1月に『東方詩集』、2月7日に『死刑囚最後の日』を刊行する一方、コメディ・フランセーズ(Comédie-Française)で上演予定だった『マリオン・ドロルム』が8月13日に上演禁止令を受けてしまう(以降、彼の手がけた戯曲が上演中止に追い込まれるケースがたびたび起こる)。理由は、この作品に登場するルイ13世の境遇が悪すぎて、シャルル10世の非難を買ったからであった。
それから約2週間後の1829年8月29日から9月24日に『エルナニ』を執筆した。10月5日にコメディ・フランセーズ座で上演する運びとなった。古典派の常識を逸脱したこの戯曲はたちまち問題となり、『エルナニ』公演の初日、開幕前からロマン派と古典派のこぜりあいが始まり、幕が上がるとこぜりあいは一気に暴動に転じた。いわゆる『エルナニ合戦』である。これ以降、ユゴーはロマン派と古典派の戦いに巻き込まれることとなる。しかし、この『エルナニ』はロマン派を世界文学の主流に据えるきっかけをつくり、公演は大成功を収める。

公では喜ばしい出来事が続いていたユゴーは、恋の情熱や死別の悲しみを詩に託している。ジュリエットとの交際が始まって1年が過ぎた1834年、彼女との恋をうたった『ロマン主義詩編の最高傑作』との評判名高い『オランピオの悲しみ』を生み出す。また、愛する長女レオポルディーヌが没してからちょうど1年後、長い間娘の喪に服した彼は、娘が逝った街ヴェルキエで傑作詩編『ヴェルキエにて』の第1篇を書き終える。
しかし、1843年から1852年までの約10年間、作品を1冊も出版していない。これにはレオポルディーヌの死はもちろん、戯曲『城主』の失敗とそれにともなうロマン派文学の凋落、議員活動の忙しさもあったと思われるが、もうひとつ大きな理由があった。それが、のちにフランス文学史上屈指の名作といわれるようになる『レ・ミゼラブル』(当時の題名は『レ・ミゼール』(Les Miséres )の執筆である。執筆は1845年11月17日から始まった。この作品を書くきっかけになった大きな理由には諸説あって、当時新聞に載っていた小説が彼の心を強く惹きつけたとも、少年時代に見てしまったギロチンの光景が彼を人道主義者にし、この作品を書かせたとも言われている。
『レ・ミゼラブル』が出版された直後海外旅行にでかけたユーゴーは売れ行きが心配で出版社に一文字で「?」と書いただけの手紙を送った。出版社からは「!」の返事が来た。「上々の売れ行きです!」というわけである。事実数日で完売・売切れの状態であったという。これが世界でもっとも短い手紙となっている。
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2009年07月08日

『レ・ミゼラブル』(☆☆☆☆:小説おすすめ度)

『レ・ミゼラブル』(Les Misérables)は、ヴィクトル・ユーゴーが1862年に書いた、ロマン主義フランス文学の大河小説である。

<あらすじ>
1815年10月のある日、75歳になったディーニュのミリエル司教の司教館を、ひとりの男が訪れる。男の名はジャン・ヴァルジャン。貧困に耐え切れず、たった1本のパンを盗んだ罪でトゥーロンの徒刑場で19年も服役していた。行く先々で冷遇された彼を、司教は暖かく迎え入れる。しかし、その夜、大切にしていた銀の食器をヴァルジャンに盗まれてしまう。翌朝、彼を捕らえた憲兵に対して司教は「食器は私が与えたもの」だと告げて彼を放免させたうえに、二本の銀の燭台をも彼に差し出す。それまで人間不信と憎悪の塊であったヴァルジャンの魂は司教の信念に打ち砕かれる。迷いあぐねているうちに、サヴォワの少年プティ・ジェルヴェ (Petit-Gervais)の持っていた銀貨40スーを結果的に奪ってしまったことを司教に懺悔し、正直な人間として生きていくことを誓う。
1819年、ヴァルジャンはモントルイュ=スュール=メールで『マドレーヌ』と名乗り、黒いガラス玉および模造宝石の産業を興して成功をおさめていた。さらに、その善良な人柄と言動が人々に高く評価され、この街の市長になっていた。彼の営む工場では、1年ほど前からひとりの女性が働いていた。彼女の名前はファンティーヌ。パリから故郷のこの街に戻った彼女は、3歳になる手前の娘をモンフェルメイユのテナルディエ夫妻に預け、女工として働いていた。
しかし、それから4年後の1823年1月、売春婦に身を落としたファンティーヌは、あるいざこざがきっかけでヴァルジャンに救われる。病に倒れた彼女の窮状を調べた彼は、彼女の娘コゼットを連れて帰ることを約束する。実は、テナルディエは「コゼットの養育費」と称し、様々な理由をつけてはファンティーヌから金を請求していた。それが今では100フランの借金となって、彼女の肩に重くのしかかっていた。
だが、モンフェルメイユへ行こうとした矢先、ヴァルジャンは、自分と間違えられて逮捕された男シャンマティユーのことを私服警官ジャヴェールから聞かされる。葛藤の末、シャンマティユーを救うことを優先し、自身の正体を世間に公表する。結果、プティ・ジェルヴェから金40スーを盗んだ罪でジャヴェールに逮捕される。終身徒刑(=終身刑)の判決を受けて監獄へ向かう途中、軍艦オリオン号から落ちそうになった水兵を助け、海に転落。通算5度目となる脱獄を図る。
そして、1823年のクリスマス・イヴの夜。今は亡きファンティーヌとの約束を果たすためモンフェルメイユにやって来たヴァルジャンは、村はずれの泉でコゼットに出会う。当時、コゼットは8歳であったにも関わらず、テナルディエ夫妻の営む宿屋で女中としてタダ働きさせられている上に夫妻から虐待され、娘たちからも軽蔑されていた。ヴァルジャンは静かな怒りをおぼえ、テナルディエの要求どおり1500フランを払い、クリスマスの日にコゼットを奪還する。
道中、後を追ってきたテナルディエを牽制したヴァルジャンは、コゼットを連れてそのままパリへ逃亡する。パリに赴任していたジャヴェールら警察の追っ手をかいくぐり、フォーシュルヴァン爺さんの協力を得たふたりは、ル・プティ・ピクピュス修道院で暮らし始める。母のことをあまり覚えていないコゼットは、ヴァルジャンを父として、また友達として心の底から慕い、愛し続ける。ヴァルジャン自身もコゼットを娘として、あらゆるたぐいの愛情を捧げる絶対的な存在として、彼女にまごころからの愛を注ぎ続ける。
フォーシュルヴァン爺さんの没後、パリのプリュメ通りにある邸宅に落ち着いたヴァルジャンとコゼットは、よくリュクサンブール公園に散歩に来ていた。そんなふたりの姿をひとりの若者が見ていた。彼の名はマリユス・ポンメルシー。共和派の秘密結社ABC(ア・ベ・セー)の友に所属する貧乏な弁護士である。ブルジョワ出身の彼は幼い頃に母を亡くし、母方の祖父に育てられたが、17歳のとき、ナポレオン1世のもとで働いていた父の死がきっかけでボナパルティズムに傾倒し、王政復古賛成派の祖父と対立。家出していた。マリユスは美しく成長したコゼットに一目惚れし、「ユルシュール」と勝手に名づけ、何も考えられないほど彼女に恋焦がれてしまう。
テナルディエの長女エポニーヌの助けを得て、マリユスは「ユルシュール」の住まいを見つけ、同じころ彼に惚れていた「ユルシュール」ことコゼットに、ようやく出逢うことができた。この出逢い以降、ふたりは互いを深く愛し合うようになる。だが、1832年6月3日、コゼットはヴァルジャンから、1週間後にイギリスへ渡ることを聞かされ、それをマリユスに話してしまう。ふたりの恋路は突然の別れという最大の試練に塞がれてしまった。
コゼットと、彼女に絶対的な愛を捧げるジャン・ヴァルジャンとマリユス――この3人を中心とした運命の渦は、ジャヴェール、テナルディエ一家、マリユスの家族や親しい人々、犯罪者集団パトロン=ミネット、そしてABCの友のメンバーまで巻き込んで、『悲惨な人々』(レ・ミゼラブル)の織りなす物語をあちこちに残していく。大きくなった運命の渦は、七月革命の影響で混沌のなかにあるパリを駆けまわり、やがて1832年6月5日に勃発する六月暴動へと向かってゆくことになる。
これは、ひとりの徒刑囚が偉大なる聖人として生涯を終えるまでの物語であり、その底を流れているのは、永遠に変わることのない真実の『愛』である。

<感想>
名作中の名作です。表現の豊かさに驚き、愛情あふれる細やかな心理描写に引き込まれるうち登場人物になりきってしまい、終盤ではもう字が読めません。幸せよりも自分に恥じない生き方を選ぶジャン・ヴァルジャンの勇気と苦悩、そして深い愛情。真の幸福とは何か。心にずしりと響きます。ユゴーの小説はストーリーを追うだけではなく、当時の物語の背景など、わき道が多く更に読みにくいです。しかし、ユゴーワールドに入り込んだら最後、次を次をとどんどん惹かれ最後まで目が話せなくサイドストーリーなども楽しみになってしまいます。さらに、読んでいるとフランスに興味が出てきます。個人的には『レ・ミゼラブル』を通して、一番おもしろかったのは1巻でした。理由は、物語に関係のある話しかないからです。他の巻では歴史の話や文化の話がでてくるので読むのに苦痛ですが、読んで物語も読むとさらに感動します。読み終るまでなかなか難しく、この小説を読んで以降難解な小説を読破するのが達成感となり楽しみになりました。思い出の1冊です。

〜『レ・ミゼラブル』、ヴィクトル・ユーゴー〜
posted by 推理小説家 at 20:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヴィクトル・ユーゴー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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